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餃子の王将 大阪駅前第三ビル店

王将、好きです。おいしいですもんね。 もちろん、おいしいのもありますが、中華の料理人さんの腕前をじっくりと見られるのが、これまたたまらないのです。 昔から憧れている職業の一つが、中華料理の料理人なんです。 かっこいいと思いませんか?ややこしい道具は使わずに、中華鍋と大きなオタマでいろんな料理をさっとつくってしまう、あの豪快かつ繊細な技はやはり何度見ても圧巻です。 その中でも、よく行くお店がタイトルに書いた大阪駅前第三ビルにある餃子の王将です。 料理がおいしいのはもちろんなんですが、そこのコックさんがなんかめちゃくちゃ手際が良くてたまりません。 10数人も入れば満席になるカウンターのみのお店で、カウンターのサラリーマンに囲まれるように調理場があります。 主に料理を作る人、レジやお持ち帰りの注文をさばく人、カウンター係の人のだいたい三人で回っていて、きっとその店の責任者の方だと思うのですが、その人の動き全てがプロやなぁ〜と感心させられるのです。 次から次に飛んでくる注文を、手際よくつくりながら、カウンターやレジの方にも目を配って、誰かがミスをしたり、例えばカウンター係の人が定食のスープを出し忘れてたりすると、カウンター係の人をどやしつけるんじゃなくて、さっと脇からスープを出して、そしてまた料理を作り始める。店の中をうかがう通りすがりの人がいれば一番奥から、真っ先に「いらっしゃいませ〜、奥空いてます〜!」と入店を促したと思えば、もう一人のテイクアウト担当の人の手が塞がってると見るや、さっとレジに入って清算する。そのときにお客さんがややこしそうなクーポンを取り出しても、笑顔で「使えますよ〜」といいながら嫌な顔一つせず接客する。そして返す刀で、カウンターの汚れをさっとふきんで拭いて、また鍋を降る。一事が万事そんな調子で、料理が出てくるまでこちらが見とれてしまうほどなんです。 もし、よくあの辺りに行く人がいれば、是非一度行ってみてください。ちなみに私は何のリベートもいただいていませんのであしからず(笑)

ITパートナーの選び方

以前書いていたブログに投稿した内容ですが、「あれ、もっかい読ませて」という声をいただくので、残してはいないのですが、記憶を頼りに再投稿してみます。 地方にあるあなたの企業が、プログラミングが必要なWEBサイトを構築しようとしています。あるいは、ブランド価値向上のための秀逸なデザインのWEBサイトを構築しようとしています。 そんな時に、社内に制作部門がある企業でなければ、外部の制作会社に委託をすることになります。 それなりに名のあるところは高そうだし、かといって名もない会社はちゃんと仕事ができるのかどうか不安だし。。。。多くの方はそのように思いを巡らすことでしょう。落とし所は知り合いに同じような経験を持つ人がいれば「そこ紹介して」とツテを頼って紹介してもらうことかもしれません。 ですが、それではプロジェクトの成功率はあまり高くなりません。 ましてやあなたが少額の予算しか持ち合わせてなければ、なおさら相手に本気になってもらうのは難しいかもしれません。 そんなとき、まずめぼしい企業を探すのに一番いいのは、出来るだけ近辺の都市に本拠地を置いている会社を探すのがいいでしょう。 なぜなら、特に首都圏でない関西や九州など地方都市においては、多くの大手ベンダーは本社ではなく支社や営業所を置いているにすぎません。それはどういうことを意味するかといえば、その会社の基本マーケット、すくなくともターゲットにしようとしているマーケットは東京にあるということを意味しています。それはすなわち、彼らの抱える人材のうち、優秀だと考えられる人材はほとんど東京にいて、地方にいる人材はやはり彼らと比べると見劣りがしてしまうのです。 この業界は、はっきりいって会社を選ぶというより、いい人材をそろえている会社、会社というよりも部署、部署というよりもチーム、チームというよりエース人材にどうやって出会えるかということです。 エース人材とは、決して「期待をされる」人材ということではありません。「期待を裏切らず」、「実績を積み重ねた」人材です。有名大学を出た新人を学歴だけで勘違いした期待をかけて重要なプロジェクトに経験もなくマネージャとして放り込んでくる会社がざらにあったりします。 では、エース人材をどうやって見極めるのか? それは商談の席ではっきりわかります。 恐らく何度かの商談を経て、話の内容がより専門的になって

モノが売れない時代

いわゆるサブプライムローン問題に端を発した金融恐慌。一部では、マスコミが誘導しすぎる感を懸念する声もあるようですが、実際に世間の懐が寂しいとなるとモノは確かに売れません。 ですが、世にあまたの人がいる限り、必要なものは必ずあるし、単に昔のように大量生産、薄利多売では、打率が上がらなくなったのだと仰る方がいました。 よく言われる価値観の多様化というものです。 確かに、不況、不況といいながら、韓国ウォンが安いとなれば韓国への航空券は飛ぶように売れ年末年始もあちこちの温泉地や観光地は調べてみると予約でいっぱいのようです。 本当に国民全てが貧しいのであればそうにはならないでしょう。 やはり、それぞれが潤沢ではないにせよ、ほどほどのムダをする程度の余裕はある事に間違いはありません。職を失った方の中にも家族を養わないといけないがきつい仕事はいや、都合のいい仕事が見つからないと言い続ける人もいる事は確かです。 そんな環境のもとで、モノを売るにはどうすればいいのか? 今の私なりの答えは、今までのように、右に習えで自らが試行錯誤することなく、また努力をする労力を惜しんでいては、モノを売る事において成功する事が難しくなったということです。セールスプロモーションの現場においても、自己の環境を冷静に分析し、安直な方程式を当てはめるのではなく、トライ&エラーとなるかもしれないけれども、自分自身で導きだす自分にとっての最適解をどん欲なまでに追い求めて行くしかないのだと思います。 そう考えると、ネットの世界で言えば「Web2.0」という言葉は最後のあだ花だったのかもしれません。

年の瀬、師走

早いもので、今年も12月、ラストの一ヶ月です。 年をとると、月日が経つのが早くなるとよくいいますが、本当にそうだなぁと実感しています。 今年もあっという間の一年で、セブンエージェントも3度目の決算を迎えます。 無事、赤字になる事もなく計画していた数字も達成できそうなので(大もうけも出来ませんでしたが。。。)とりあえず安心しています。 経営という単語にはほど遠く、まだまだ目先の事に一生懸命でしかいられないのですが、いろんな仲間と、「誇れる仕事とそのための成長」をキーワードに続けられている事に感謝、感謝ですね。

映画好きです

映画が結構好きで、ちょくちょく見に行きます。 アクションとか、派手に拳銃ぶっ放したり、モノ壊したりするのはあんまり好きじゃなくて、叙情的なストーリーものがお気に入りです。 最近見た映画でよかったのは、『最高の人生の見つけ方』ですね。 モーガン・フリーマンとジャック・ニコルソンがいい演技を見せてくれています。 ネタバレですが、二人はともに末期がん患者としてとある病院の相部屋に入る事で知り合って、死ぬまでにやりたい事を紙に書き出します。そしてそれを次々に実行して行くのですが、途中で紆余曲折があり二人で一緒に実行しなくなってしまいます。 そこから結末までのストーリーがたまらなくすてきな話でした。 幸せとは、きっとそれを受け止める側にゆだねられているのものなのだなぁと。そんなよく言われるけれども実感できない真実をかいま見せてくれたような気がしました。 昔にあった、別の映画のストーリーの焼き直しらしいのですが、それでもこの映画を見て感動した事にはかわりありません。 モーガン・フリーマンといえば、『ショーシャンクの空に』でもいい演技見せてくれてましたね。 あの映画も大好きです。

好きな言葉

好きな言葉の一つに 『小善は大悪に似たり』 というのがあります。恐らく京セラの稲盛さんの言葉だったと思います。 先日書いた、日教組的な組合活動、子供をしかれず友達のような関係しか築けなくそれを誇りにすらしてしまう親、社会にも至る所で見られます。 この言葉が当てはまる事柄は、すべからく自己の満足のために行われている事に起因するのだと思います。そして、自らの考えは決して全ての真実を見抜ける訳ではないという当たり前の事実を忘れてしまっているからとも。 きっと大悪を為さないというより、大悪をなす可能性に気付いてそれを恐れないといけないのでしょうね。

義務より権利?

最近、いろんなニュースや社会に対する論評に目を通していて感じるのは、いろんな人が義務より権利、社会性より個人の自由を尊重したいのだなぁということです。 ついさっき、テレビでニュースを見ていたら、神奈川県の公立学校教諭が君が代斉唱の際に起立しないことを教育委員会が調査しているといって、抗議し訴訟を起こしたといっていました。 君が代や日の丸に付いてはその是非に対して様々な議論があると思います。そのことに関しては特にこれに関してどちらが正しいということはあまり問題では有りません。 しかし、その教諭は個人の信条に忠実でありたいのならなぜ公立学校の教諭という職をえらび、ましてやその地位の保全のための訴訟まで起こすのでしょうか?職務として公教育に携わるということは、国民の意思の総意である国家の教育方針、すなわち将来の子供達に教えるべきと『政府』が判断したものを教育する仕事であると思います。独裁国家ならいざ知らず少なくとも民主主義に乗っ取った政治体制にある日本で、公職にある人間が一個人の信条に基づいて得手勝手に行動することはとても危険なことだと、同じニュース番組の自衛隊の懸賞論文のニュースに対して述べていました。 私は、個人である以上信条を表現する自由は有ると思いますが、それは公職である立場を使ってすることに問題が有ると思うのです。その教諭と異なる信条を持つ生徒が、一個人の判断による個人的信条によって、偏った思想を強制される危険性もあります。 この例に漏れず、独善と圧倒的な個人の権利の主張が優先されるのはとても嫌な世の中だなぁと思います。公務員として果たす義務はなんなのか、『私』の前に『公』を持ってきても悪くはないと思うのです。 免停がばれるのが嫌で、車で人を引きずっても平気でいられる犯罪者や、親に怒られたから誰か他人を殺して親を困らせたいと考える若者は、そんな、独善の先に有るのではないだろうかと。給食費を払わずに開き直るモンスターペアレントや、報道の自由をたてに犯罪被害者の人権を蹂躙するマスコミは、そんな、権利だけが無限大にある勝手な解釈の先にあるのではないだろうかと。 いま、多くの人のかけがえのない『安全』がそういうものたちに脅かされています。子供を理不尽な理由で決して失いたくないです。大切な人を他人のエゴでこの世から葬り去られたくないです。 少し飛躍してると思われるかもしれ

ダイエット

といっても、体の減量ではなくて、会社のいろんなことそろそろ再整理しないといけないなと思っています。 それぞれの役割はもちろんのこと、いままで短いなりに積み上げてきたことも含めて、整理してムダなことはなくしていかないといけないなぁと。 あ、もちろん減量のダイエットもがんばります。今日ものべ3人に言われました。。。。。 わかってるんですけどね。

なにをしたくないか

「したいこと」と同じくらい「したくないこと」はあるのですが、何よりしたくないことは他人に価値を与えずにお金儲けをすること。 ちまたで問題になっている振込詐欺はそもそも犯罪ですが、巷で行われているビジネスと呼ばれるものであっても、根本に楽して儲かるならその方がいいという感覚が、世の中全体にあるような気がします。 それがお金至上主義を暗示しているのか、汗水流すことを軽く見ているからなのかわかりませんが、社会に何も益をなさないことがすごく恥ずかしいと思ってしまうのです。 どこかで、不労所得を誇るというか、いかに『得』をしたかを自慢するような、いかにもそれが賢い勝者のようになってしまう倫理観はやっぱり好きにはなれないです。日常の中で個人としてというのならまだ解るのですが、仕事としてそうなってしまうのは寂しいと思ってしまうのです。 やっぱり、自分でないと出来ないことをして、笑顔になってもらってお金を頂戴する。当たり前すぎることですが、忘れたくない基本だなぁと思います。

なにをやりたいか?

この仕事をしていると、顧客には『元々何がしたかったのか?』を問うことが多いのですが、いざ自分の身に置き換えてみると、会社のいろんなことを考え実行する際に、つい、ぶれそうになってしまって、『危ない、危ない。。。』と思い直すことがあります。 そもそもセブンエージェントは何をしようとしていたのか? 自分(達)がどれだけ社会に通用するのか? 社会に貢献できる器をどれだけ備えているのか? を行動して確かめたいっていうのが一番の核心だと思います。 私の尊敬する元上司のN氏に一番叩き込まれたのは 自己責任 無知の知 の大切さと、それを徹底したときの自分の強さでした。 不安や恐れ、そして慢心による躓きは多くはそれによって取り去ることが出来るのだと。 そのことを突き詰めていけば、器づくりからやってみたいなと。 雇われて働いていたときの『他人がもたらす環境』を全て一度自身で背負い込んでみたいなと。 自分流のビジネス全てのプロセスがどこまで通用するかを甘ったれずに肌で感じたいなと。 口先だけの男で終わりたくないなと。 そう思ったのでした。