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11月, 2008の投稿を表示しています

映画好きです

映画が結構好きで、ちょくちょく見に行きます。 アクションとか、派手に拳銃ぶっ放したり、モノ壊したりするのはあんまり好きじゃなくて、叙情的なストーリーものがお気に入りです。 最近見た映画でよかったのは、『最高の人生の見つけ方』ですね。 モーガン・フリーマンとジャック・ニコルソンがいい演技を見せてくれています。 ネタバレですが、二人はともに末期がん患者としてとある病院の相部屋に入る事で知り合って、死ぬまでにやりたい事を紙に書き出します。そしてそれを次々に実行して行くのですが、途中で紆余曲折があり二人で一緒に実行しなくなってしまいます。 そこから結末までのストーリーがたまらなくすてきな話でした。 幸せとは、きっとそれを受け止める側にゆだねられているのものなのだなぁと。そんなよく言われるけれども実感できない真実をかいま見せてくれたような気がしました。 昔にあった、別の映画のストーリーの焼き直しらしいのですが、それでもこの映画を見て感動した事にはかわりありません。 モーガン・フリーマンといえば、『ショーシャンクの空に』でもいい演技見せてくれてましたね。 あの映画も大好きです。

好きな言葉

好きな言葉の一つに 『小善は大悪に似たり』 というのがあります。恐らく京セラの稲盛さんの言葉だったと思います。 先日書いた、日教組的な組合活動、子供をしかれず友達のような関係しか築けなくそれを誇りにすらしてしまう親、社会にも至る所で見られます。 この言葉が当てはまる事柄は、すべからく自己の満足のために行われている事に起因するのだと思います。そして、自らの考えは決して全ての真実を見抜ける訳ではないという当たり前の事実を忘れてしまっているからとも。 きっと大悪を為さないというより、大悪をなす可能性に気付いてそれを恐れないといけないのでしょうね。

義務より権利?

最近、いろんなニュースや社会に対する論評に目を通していて感じるのは、いろんな人が義務より権利、社会性より個人の自由を尊重したいのだなぁということです。 ついさっき、テレビでニュースを見ていたら、神奈川県の公立学校教諭が君が代斉唱の際に起立しないことを教育委員会が調査しているといって、抗議し訴訟を起こしたといっていました。 君が代や日の丸に付いてはその是非に対して様々な議論があると思います。そのことに関しては特にこれに関してどちらが正しいということはあまり問題では有りません。 しかし、その教諭は個人の信条に忠実でありたいのならなぜ公立学校の教諭という職をえらび、ましてやその地位の保全のための訴訟まで起こすのでしょうか?職務として公教育に携わるということは、国民の意思の総意である国家の教育方針、すなわち将来の子供達に教えるべきと『政府』が判断したものを教育する仕事であると思います。独裁国家ならいざ知らず少なくとも民主主義に乗っ取った政治体制にある日本で、公職にある人間が一個人の信条に基づいて得手勝手に行動することはとても危険なことだと、同じニュース番組の自衛隊の懸賞論文のニュースに対して述べていました。 私は、個人である以上信条を表現する自由は有ると思いますが、それは公職である立場を使ってすることに問題が有ると思うのです。その教諭と異なる信条を持つ生徒が、一個人の判断による個人的信条によって、偏った思想を強制される危険性もあります。 この例に漏れず、独善と圧倒的な個人の権利の主張が優先されるのはとても嫌な世の中だなぁと思います。公務員として果たす義務はなんなのか、『私』の前に『公』を持ってきても悪くはないと思うのです。 免停がばれるのが嫌で、車で人を引きずっても平気でいられる犯罪者や、親に怒られたから誰か他人を殺して親を困らせたいと考える若者は、そんな、独善の先に有るのではないだろうかと。給食費を払わずに開き直るモンスターペアレントや、報道の自由をたてに犯罪被害者の人権を蹂躙するマスコミは、そんな、権利だけが無限大にある勝手な解釈の先にあるのではないだろうかと。 いま、多くの人のかけがえのない『安全』がそういうものたちに脅かされています。子供を理不尽な理由で決して失いたくないです。大切な人を他人のエゴでこの世から葬り去られたくないです。 少し飛躍してると思われるかもしれ

ダイエット

といっても、体の減量ではなくて、会社のいろんなことそろそろ再整理しないといけないなと思っています。 それぞれの役割はもちろんのこと、いままで短いなりに積み上げてきたことも含めて、整理してムダなことはなくしていかないといけないなぁと。 あ、もちろん減量のダイエットもがんばります。今日ものべ3人に言われました。。。。。 わかってるんですけどね。

なにをしたくないか

「したいこと」と同じくらい「したくないこと」はあるのですが、何よりしたくないことは他人に価値を与えずにお金儲けをすること。 ちまたで問題になっている振込詐欺はそもそも犯罪ですが、巷で行われているビジネスと呼ばれるものであっても、根本に楽して儲かるならその方がいいという感覚が、世の中全体にあるような気がします。 それがお金至上主義を暗示しているのか、汗水流すことを軽く見ているからなのかわかりませんが、社会に何も益をなさないことがすごく恥ずかしいと思ってしまうのです。 どこかで、不労所得を誇るというか、いかに『得』をしたかを自慢するような、いかにもそれが賢い勝者のようになってしまう倫理観はやっぱり好きにはなれないです。日常の中で個人としてというのならまだ解るのですが、仕事としてそうなってしまうのは寂しいと思ってしまうのです。 やっぱり、自分でないと出来ないことをして、笑顔になってもらってお金を頂戴する。当たり前すぎることですが、忘れたくない基本だなぁと思います。

なにをやりたいか?

この仕事をしていると、顧客には『元々何がしたかったのか?』を問うことが多いのですが、いざ自分の身に置き換えてみると、会社のいろんなことを考え実行する際に、つい、ぶれそうになってしまって、『危ない、危ない。。。』と思い直すことがあります。 そもそもセブンエージェントは何をしようとしていたのか? 自分(達)がどれだけ社会に通用するのか? 社会に貢献できる器をどれだけ備えているのか? を行動して確かめたいっていうのが一番の核心だと思います。 私の尊敬する元上司のN氏に一番叩き込まれたのは 自己責任 無知の知 の大切さと、それを徹底したときの自分の強さでした。 不安や恐れ、そして慢心による躓きは多くはそれによって取り去ることが出来るのだと。 そのことを突き詰めていけば、器づくりからやってみたいなと。 雇われて働いていたときの『他人がもたらす環境』を全て一度自身で背負い込んでみたいなと。 自分流のビジネス全てのプロセスがどこまで通用するかを甘ったれずに肌で感じたいなと。 口先だけの男で終わりたくないなと。 そう思ったのでした。