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騙しのレトリック

最近ニュースでは、政権与党の「事業仕分け」なるものが盛んに報道されています。 とてもいい事だと思うのですが、一方で反論も出ているようです。 そのうち、いくつかのものはありきたりの騙しの手口を使ったくだらないものでした。 曰く「科学技術に関する予算を削るとは何事か!短期に成果を求めるのではなく、またこういったものは長期的視野に立って判断しなければならないのだ」 曰く「今なぜ女性の地位向上が必要なのかをお伝えします!!女性の社会参加に関する事業の予算を削るという事は女性を軽んじてるという事です」 まず、最初の科学技術に関する話は、そもそも世界一のスーパーコンピュータと言う超高性能のコンピュータを開発するというもの。関係者がいうにはその超高性能スーパーコンピュータがあれば、地震の予知もできたりいろんな災害の被害予知等にも使えるのに、みんなが危険にさらされてもいいんですね!?ということらしい。 ちょっと待ってほしい。 誰も自然災害の被害を最小限にする事を大事にしないとは言っていない。科学技術の研究開発をおろそかにするとも言っていない。 仕分け人側の蓮舫議員が言っているのだが、例えば毛利元宇宙飛行士を館長に据える財団は、予算執行権限が実は毛利さんにはほとんどなく、金を握っているのは天下り役員たちが作った別団体で、毛利さんが館長のその団体は、天下り団体へのほとんどの業務の委託を強制されているのだとか。 また、最近のコンピュータは一台の何十億何百億とするスーパーコンピュータを使うのではなく、一台の能力は低くてもそれを何百台何千台も同時に平行に動かせて様々な高度な科学技術計算を行うという方法が主流なのです。 グリッドコンピューティングというものですが、一人のスーパーマンより大勢の一般人で解決しようということのほうが実はとてつもなく安上がりだという事がわかってきたのです。 その時代の潮流に逆らうように金のかかるスーパーコンピュータを作ってどうなるのでしょう。 そういう本質に関することを言わずに、全く関係のない話をつなげあわせてごまかすのは詐欺師の常套手段です。 例えば、 休暇を取る事は本人のリフレッシュになってとてもいい事だ。それを否定するのは社員を奴隷扱いするようなものだ。だから社員が休暇を取りたいと言ったらどうぞどうぞといって休ませてあげないといけない。 と言えば正しいことを言っ

歴史から学ぶもの

仕事がらいろんな本を読みます。 個人的には歴史が好きなのでその類いのものも多いのですが、やはり仕事がらみの経済系、経営系、技術系の本はできる限り斜め読みでもいいから目を通すようにしています。 一年前に買った念願の本棚も「これなら当分大丈夫!!」と思えるほどのスペースが余っていたのですが今ではぎっしり詰まってしまって、このまま下敷きになったら天国行きのチケット当選かなと思えるくらいになってしまいました。 最近は歴史ブームらしく、特に戦国時代の武将をキャラクターにした漫画やゲームを入り口にして若い人が興味を持っているらしいです。そのせいか書店の歴史関係のコーナーもそんな感じの本がずらりと並んでいて、真田幸村とか直江兼続とか前田慶次郎なんかの本がどうやら人気のようです。 私も歴史は大好きなのですが今の興味はそういうところよりも、今を生きるためのヒントになるような時代考証を求めて参考になるものを読みあさるといったほんの選び方をする事が多いです。 私の祖父も戦死しましたが、なぜ今の時代も大きくその影を落とす太平洋戦争という悲劇が起こったのか?戦争反対とステレオタイプの呪文を唱えるだけでなく、Love&Peaceといったどこか享楽主義的なノリでもなく、勇ましいだけの再軍備論でもなく、「普通の人が普通の幸せを享受できる」という当たり前だけれども、長い人類の中で一度も当たり前の事実にできなかった事を現実のものにするには何が足りないんだろうと思うのです。 そして、自分たちを不幸にした犯人を捜し出して呪うのではなく、だからどうする?、何をすればいい?の答えを見つけたいのです。 歴史には先人たちの経験知がぎっしりとつまっています。 多くの若者が自らの身を挺して祈った未来ある子孫である私たちの社会は、日々猟奇的な殺人のニュースが飛び交い、芸能人の色恋沙汰やスキャンダルが延々と報じられ、タレントと言う名のテレビ業界人たちが身内の宴会を公共の電波に向けて垂れ流しています。 そこに自分にとってかけがえのない子供たちを送り出すのが不安で仕方ないのだと思います。誰かに何をしてほしいのでもなく、だから私自身がすべき事を知らずに無為に日々を過ごす事はたまらなく嫌なのです。 とりとめもない内容ですが、「面白いっ!!」と思える本を一気に読み上げて、うわぁ〜っと思いがあふれてきて書き留めたらこんな感じ